山王鍼灸整骨院代表の田中聡です。
ホームページをリニューアルいたしました。
それに伴いスタッフ全員がプロフィールを書くことにしました。
普段文章を書くこととは程遠い生活を送っている私たちですので、乱文についてはどうか温かい目で見てください。
まずは私から(汗)
学歴
都立三田高校卒
早稲田大学教育学部卒
日本柔道整復専門学校卒
早稲田鍼灸医療専門学校卒
趣味
登山、マラソン、写真、ドライブ、犬
私が治療家の道に足を踏み入れたのは30歳を目前にしたときです。
ということはもうこの道に人生の半分を費やしたことになります。
年がバレますね(笑)
最初に就いた職は地方公務員上級職(横浜市職員)です。
下水道局では用地買収、企画財政局では税の電算化業務に明け暮れました。ともに想定外の過酷な業務で心身共に疲れ果てたのを思い出します。
今でも夢でうなされることがあるほどです(笑)
「こんな自分でも少しは人様のためになりたい」と思い公務員になったもののその思いは日々薄れていきました。
「一度きりの人生、自分のやりたいことをやってみよう!」
友人や先輩方には引き止められもしましたが、公務員を辞めることには何の未練も不安もありませんでした。
そして進んだのが治療家(柔道整復師、鍼灸師)の道です。
私は5歳頃小児ペルテス病(大腿骨の骨頭が壊死し股関節の後遺症が残存する病)を患いました。足を引きずって歩くことから最初は整形外科を受診しました。
今では小児で股関節や膝が痛いとくればこの病を疑うことはセオリーですが、その当時は見逃されることも多々あったのかもしれません。
私もその一人で、整形外科では膝にコルセットをされたりしましたが、一向に症状は改善されず2年が過ぎました。
そして7歳時、知人の紹介で受診した整骨院の先生が小児ペルテス病を疑い、大学病院を紹介していただきました。
藁をもつかむ気持ちで受診した大学病院の担当医は
「整骨院の先生はたいしたもんだ。それに比べ○○整形外科はこの子を一生びっこにするところだったぞ」と声高に言った先生の言葉は今でも忘れられません。
私の大腿骨の骨頭は完全に壊死していて免荷装具だけでは治らないほどひどかったようです。
自分の腸骨(骨盤の骨)を削り、それを大腿骨に移植する大手術は12時間に及びました。
先日ネットで小児ペルテス病の手術法を調べてみましたが、骨を自家移植するという荒技はいくら調べても見当たりません(汗)
先生曰く、臨床例がなかったそうだから言わば実験台だったのかも。
まあ、結果オーライということで(笑)
手術は無事成功し骨盤から左下腿までのギプス、その後の免荷装具は半年以上続きました。
装具が外れたあとも成長期が終わる中学校卒業まで飛んだり跳ねたりの激しい運動は禁止となりました。
今でいうSTAY HOMEです(涙)
元気過ぎる男の子に多いこの病の特徴通りSTAY HOMEは守れるはずもありません。
その自粛要請を守らなかった割に、今のところ後遺症は脚長差1cmくらいですんでいます。まさに奇跡としかいいようがありません。
小児ペルテス病の闘病生活や成人後の股関節の変形や痛みに苦しむ人たちのSNSを見るにつけ、心が痛みます。
と同時にケアは続けているとはいえ登山もランニングもできる私は何て幸運なのかと思います。
手術していただいた先生には感謝してもし切れないほどです。
また、その当時、医師でも誤診する小児ペルテス病をそれと見極め大学病院を勧めていただいた整骨院の先生との出会いがなければ今の私はなかったかもしれません。
心と体の奥底に眠っていた幼少期の経験がきっと治療家への道に導いたのだと思います。
好きなことを生業にできるなんて何て幸せなことでしょう。
勉強嫌いな私ですが、専門学校時代はかつてないほど真剣に勉強をしました。
治療家は自分の技術、知識、応対が患者様から直接的に評価を下される厳しい世界です。
施術品質を高めないと飽和状態の業界では生き残れません。
ただ施術品質が高ければそれでいいというものではありません。
人柄が大切です。
その点山王鍼灸整骨院、大岡山すみれ鍼灸整骨院の全スタッフ8名は手前味噌になりますが、本当に素晴らしい人材です。
この宝物を「治せる治療家」に育てることが今の私の使命であり生きがいでもあります。
患者様の期待に応えられるようスタッフ一同ワンチームとなり、私を含め日々レベルアップしていきたいと思います。
患者様には何でもお気軽にご相談いただけるような雰囲気づくりも心がけております。
患者様から信頼される整骨院に一歩でも近づけるよう取り組んでまいりますので、どうぞ山王鍼灸整骨院、大岡山すみれ鍼灸整骨院をよろしくお願いいたします。